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【有機野菜とは】
指定の化学肥料や農薬などの「無機質肥料」を使わず、魚粉や油粕など植物性・動物性由来の「有機物肥料」を使って育てられた野菜のこと。
有機野菜の認定には農林水産省が定めた
【有機JAS規格】の条件を満たす必要がある。
【有機JAS規格とは】
・禁止農薬や化学肥料、遺伝子組換え技術などを使用しない
・種まきまたは植え付け前2年(多年草は3年)以上、有機的管理を行った水田や畑で生産されたもの
・周辺から使用が禁止されている化学肥料・農薬などが飛来・流入しないように必要な措置を講じられていること。
など、これらの厳しい基準をクリアして【有機農産物】として認定され、パッケージにはそれを証明する【有機JASマーク】を表示できる。
日本有数の米処魚沼で栽培しているJAS認定栽培のコシヒカリ。
なたね粕・魚粕・堆肥等有機質肥料を食味を考えブレンドし使用しています。
除草には特殊な抑草機(ランダム)や手取と、手間暇をおしまず栽培された逸品です。魚沼津南地方は豪雪地帯と呼ばれ、冬は豪雪、夏は暑く、また昼と夜の寒暖差(約十度以上)が激しく気候的に米作りに最適とされています。
春には4mの雪がとけ土の浄化がしっかりと行われ、有機本来の特徴が米に表れ、魚沼産コシヒカリの旨味がさらに増します。
若くして魚沼一の農地を持つ米農家を継いだ大島知美氏。
最初は儲かる農業と考えていた私は、とにかく収量を上げることを最優先にしました。
しかし収量重視の米作りをした結果、土壌は痩せてしまい、今まで代々、冬には家畜の堆肥を田んぼに投入し、土を育て、継続してきたものをたった数年でダメにしてしまい、再び肥えた土壌に戻すためには、膨大な時間がかかることを後で知りました。
これに気づいた時はとんでもないことをしてしまった、と反省すると同時に、自然と向き合う難しさ、怖さを身をもって知りました。
当時は「有機」を謳う人は少ない中で、徐々に失った地力(ちりょく)を田んぼにつけるために、有機を取り入れていきました。
化学肥料は一切使わない微生物農法を勉強しながら、有機栽培の方法を独自に模索していました。
一度農薬を使った土地で、有機農法をしようとすると、実際に、地力や地味(ちみ)が表れてくるためには、10年は経たないとダメなんです。
平成元年頃、本格的に有機栽培による米作りを開始。当時は有機JASというもの自体がなく、認証もまだ何もなかった時代でした。
試行錯誤の繰り返し。でも徹底的に有機をやっていきたい私の想いは、紆余曲折を経て、私の理想の米作りを追い求められる環境、現在の株式会社ごはんになりました。
有機栽培に欠かせない除草作業を突き詰めた結果、自分で「自走式除草機」を開発してしまいました。
また害虫対策をすることも手間のかかる一つです。でもそこに手を抜くと安全で安心の作物は作れないんです。
そして何より稲を育てることは命を育てること。例え自分の足が折れても稲だけは折らない、という気概がないといけない。最近の若い子は稲を「もの」として扱う傾向がありますが、「命を扱っていると思え!!」と教えています。
農業の現場で、土にまみれて、葉っぱをかじる。見て、触れて、五感を駆使しながら作物を育てる、それが百姓という職業。
本当の百姓はそう簡単には務まらない。だから私は誇りと愛着を持って「百姓」と名乗るんです。
私が注視したのは、有機農業の推進、拡大ですね。
アトピーの子供が増えていたり、若者の精子が減少したりと、昨今、ヒトの様々な変調を感じます。有機農業を広めていくことで、食を通じて人と地球環境に貢献すること、それが私の使命ですね。これから産まれてくる子供たちには何の責任もないのですから。
未来の環境と子供達のために、最も重要な問題だと受け止めています。
百姓としては、より美味しいお米を作ること。実は私自身、現状の出来栄えには全然満足できていなくて、今までにまあまあかなと思えた「70点」が一回だけ。あとは全て落第点。それでも年々、進化を感じています。今後も天気と戦い、己と戦い、多くの人たちに私の米を豆を食べてもらいたいと頑張っております。